創り手さんにいろはのお題
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ち ちらちらと瞬くひかり 夕風が涼しく、湯上がりのまだ熱い体を冷ましてくれる。 軽く結い上げられた、まだ乾ききっていない髪が君の白いうなじをくすぐっている。 遠くを見つめる君の瞳はここでないどこかを見つめている。 白い肌は透けるようで、僕は君が消えてしまうのではないかと不安になる。 風に揺れる浴衣は涼しげで、夏が終わりへと近づいている事を感じさせる。 「あ」 君の声に誘われて君の指が伸びるほうを見つめる。 「蛍、か」 視線の先にはちらちらと瞬く小さな光。 「綺麗ね……」 鈴を転がしたような声で君は囁く。 静かな夏の終わり。 時期外れの蛍はそれでも舞っていた。 たった一匹だけで、儚げに、寂しそうで、そして、とても美しかった。 想い出は、哀しくも美しい。 君と過ごした最後の夏。 僕はとても幸せだった。 戻る |
り 理由はたったひとつだけ どうして? たったの一つだけよ。 わからない? 自分で考えるのよ。 私がどうして貴方のそばにいるのかなんて。 そんなの、理由はたったの一つだけ。 こんな簡単な問題もわからないの? ちょっとは自意識過剰になっても良いんじゃない? きっと答えをあなたは知ってるわ。 そう、理由はたった一つだけ。 戻る |
ぬ ぬしは逃げた ぬしはにげた どこへにげた だれもしらないどこかへにげた ぬしはにげた なぜにげた だれもしらないだれかにおわれ ぬしはにげた いつにげた だれもしらないいつかににげた ぬしはにげた どこのぬしが いずみのぬしが もりのぬしが せかいじゅうのあらゆるぬしが 主は逃げた 世界中のあらゆる主が 誰も知らないいつかの日 誰も知らない誰かに追われ 誰も知らない何処かへと ぬしはにげた すべてをすてて そこにあらわれたのはにんげんたち 戻る |
よ 夜を盗みにくる男 彼はひっそりと訪れる。 誰も彼に気付く事はない。 彼は人々の眠りのうちに訪れて、人知れず夜を盗む。 ねえ、そこの貴方。 最近、よく寝た筈なのに眠り足りない、なんて事ありません? それは、貴方の夜が盗まれているからです。 そちらの貴方。 夢を見たはずなのに内容を思い出せないこと、ありません? それも、貴方の夜が盗まれた証です。 お気をつけなさい。 彼は、いつだって貴方の夜を狙っている。 眠りの時を、夢の世界を。 戻る |
う うるさい人形 うるさいな べんきょう がっこう しゅくだいに おじゅけんだって それからじゅく うるさいな うるさいな かってにいろいろいうなよな ぼくはおまえのにんぎょうじゃない ああ これでしずかになった へやのすみには あかいみずたまりと しずかになったにんぎょうだけ 戻る |
ま 真似ばかりしないでくれる? まねばかりしないでくれよ なんだよおまえ、まねばかり ぼくのまねして くろいやつがうごいてる まねばかりしないでくれよ ぼくのうごきをまねするな するとそいつがにやりとわらった そこまでいうならかってにうごこう くろいやつはぼくのかおしてにっこりわらった こんどはおまえがおれのまね 戻る |
け 消し炭で作られた塔 なあ、旅の人。 あんたは見たことがあるかい? 遠い遠い海の向こう、 真っ黒な塔が建っているのを。 知っているかい? この国の先王が、 遥かな遥かな山の向こうに、 真っ黒な塔を建てたのを。 不気味な不気味な黒い塔。 消し炭で出来た黒い塔。 だけど、本当は消し炭で作った訳じゃない。 燃やされたから消し炭になったのさ。 先の戦の戦死者を折り重ねて作った塔さ。 その上には捕虜達も生きたまま載せ燃やした塔さ。 聞いた事はないかい? 寂しい寂しい夜の風に、 冷たい冷たい秋の風に、 恨みの声が木霊するのを。 知っているかい旅の人。 お気をつけよ、もしも塔の側を通る時には。 消し炭になって尚、 彼らは呪いの言葉を吐き続けているのだから。 戻る |
ふ 踏まれた猫の物語 忘れるものか、あの日のことは よくも踏んでくれたな、人間よ いつの日か果たしてくれよう、復讐を この曲がっちまった尻尾の仇 けっして晴らさでおくべきか 戻る |
あ 明日になれば、すべて 大丈夫。 明日になれば、またいつもの生活が始まる。 明日になれば、すべて変わるのだから。 だから、お願い。 今だけは。 今だけは、あの人の思い出に浸る事を許してちょうだい。 そうすれば、 私はまた明日から前を見て生きていく事が出来るから。 あの人を思い出し、悲しむのは今日が最後。 だから、お願い。 今だけは。 あの人と共にいる事を許して……。 戻る |
み 見たね? 見たね? 奴はそう言った。 一人逃げそこなったおれは慌てて首を左右に振った。 嘘ではない。 暗闇から浮かび上がるような奴の顔は、本当に恐ろしかったが、おれは真実、何も見てはいなかった。 いや、見ていなかったわけじゃない。 見ようとも見れなかったというのが正しい(どちらにせよ見たくもなかったが)。 何せ、奴は遮光カーテンをしっかりと締め切り、蛍光灯の一つもつけずにそこにいたからだ。 暗がりの中で奴の目(正確には眼鏡のレンズだ)だけが僅かな光源によって輝く。 白い制服も反射する筈なのに何故か見ることは出来ない。 顔だけが、恐ろしげに浮かびあがる。 おれはさっさと人を置いて逃げ去ったクラスメイトを恨んだ。 一緒に部活動見学に行こうぜ、とか。 ここ不気味そうじゃねー?とか、全部お前らが言ってた事じゃないか。 おれは、高校では帰宅部になるつもりだったんだ。 こんな不気味な教室、最初から近づきたくなかったんだ。 ここだけは絶対に近づくな、と卒業生である兄貴にもしつこく言われていたのに。 それなのに、それなのに……。 そう、そこは一部の生徒(勿論部員達だ)を除き誰も近寄る事のない禁断の教室(兄貴談)。 入り口に続く廊下のガラスケースには妖しげなホルマリン漬けと並び、何故か可愛らしいカエルの置物が鎮座ましましている。 入り口には幅1メートルはあろうかと言う巨大なこうもりの剥製(一説には顧問の趣味)が掲げられ、噂によれば妖しげな儀式も繰り広げられていると言う……。 中はどこか生臭い臭気に包まれ、誰もいないのにカタカタと言う何かがこすれる音。 多くの女子生徒だけでなく男子生徒にも非常に不人気だ。 「見られたからには……」 その言葉と共に暗闇からどこからともなく4本の(つまり2対の)腕が伸びた。 そしてがっちりと両腕を捕まれる。 色白の細い腕だ。 だが、その力は異様に強く、中学3年間陸上で鍛えた筈のおれにも振りほどくことが出来ない(受験期の運動不足が祟ったのか)。 異様な執念さえも感じられるその手は容赦なくおれを部屋に引きこもうとする。 「入部してもらわなきゃね……」 だから見てませんてばっと心の中での叫びも虚しく、おれはその部屋に引きずり込まれた。 クスクス フフフフ 暗闇の中に不気味な笑い声が響き渡る……。 その教室の名前、それは生物実験室……。 そうしておれは、 校内部活怪しげ部門11年連続第1位 潰れそうでなかなか潰れない部門15年連続第1位 何故か実績だけはある部門17年連続1位 成績が良い理系部門5年連続1位 と言う良いんだか悪いんだかさっぱり分らない記録をなおも更新中という謎の部活、生物部に入部する事となった。 それは高校入学3日目のことだった。 戻る |