the Lorelei







ローレライ

幼い頃、そこには夢と希望が溢れているのだと思っていた。
ずっと、ずっと、憧れていた。

けれど、大人になって漸くたどり着いた宇宙(ここ)には、夢も希望も、何もなかった。

あったのはただ、漆黒の闇と永遠のような孤独。
どこまでも続く闇、その中で瞬く無数の恒星の光はあまりにも微かだった。何処までも、何処までも、この全てを飲みつくすような闇は広がっていた。誰もが知っているように、この宇宙にも果てはある。だが、それは途方もない距離、途方もない時間を経た遥か彼方。

この広い宇宙の中で、人はあまりにも孤独だった。
そして、夢や希望だけを見つめていられるほど、宇宙は優しくもなかった。

「なら、どうしてあなたはそこにいるの?」

どこまでも続く闇の中で、時折、幻が俺に語りかける。その幻は、時には俺の姿で、時には別れた恋人の姿、数年前に死んだ姉や、地球にいる両親、友人、宇宙で死んだ同僚、様々な姿で俺に問いかける。

何故、宇宙にいるのだ、と。

 この手の幻は、ある意味で船外活動員(EVA)にとっては職業病みたいなもんらしい。この職に就くとほとんど例外なく誰もが遭遇するという。人類が月どころか土星へも観光にいく二十二世紀の現代においてなお、怪談と言うものはなくならないということなのか。

 通称は誰がつけたか、ローレライ。地球の古い伝説にあやかった名前だ。俺達の間では“ローレライには気をつけろ”って格言もあるほど広まっている。ローレライに気をとられて危うく命を落としそうになった奴や、実際に死んじまった同僚もいる。面白い事に、ローレライとの初めての遭遇はこの仕事を続けていくかどうかの試金石になっている。辞める奴は、大抵ローレライとの最初の遭遇で辞めちまう。それでも辞めなかった奴だけが、宇宙(ここ)に残る。だから、宇宙にいる奴らは必然的にローレライ遭遇率が非常に高い。にもかかわらず、この話題はほとんど外に漏れた事はない。
それはきっと、ローレライが俺達の不安や恐れ、そういった弱さが具象化された姿だからなのだ。
この美しい幻を死の影と呼ぶ連中がいるのも、分かる気がする。
こんな非現実的なのは、地上で口にする話題じゃない。
きっと、宇宙(そら)にいる連中にしか、理解できない。

 彼らは何故か決まって船外活動時に現れる。一世紀も前の宇宙飛行士と違って、俺達は普通に数十時間に亘って宇宙空間へと出る。口にするのはチューブから流れ出る水と味気ない流動食だけ。自分以外にはロボットや単純な機械類しかそこにはいない。状況によっては太陽風による軽い電波障害が起きて母船との通信もままならない。見上げる先には深い闇。そんな時は、恐ろしいほどの孤独感に襲われる。一時的なものだとは分っていても、一分一秒が途方もなく長く感じられる時がある。
そういう時に、彼等はよく現れる。
そして、異口同音に尋ねるのだ。

何故、宇宙にいるのか、と。

夢も希望もないというなら、何故、星へ帰らない。
死と隣り合わせの宇宙ではなく、何故、安穏と暮らせる地上へ帰らないのか、と。

俺は、その問いに答えられたためしがない。

理由なんて、ないからだ。
そんなもの、俺にだってわからない。

ただ、ここにいなければならない気がした。
ずっと、ここだけを見て生きてきた。
今更変えろといわれても無理だ。

いや、違う。

変えようと思えば、本当はいつだって変えられた。今からだって、地球で仕事を探すことは出来る。

けれど……。



姉は宇宙旅客機(スペースプレーン)の事故で死んだ。
木星に旅行へ行った姉は、小惑星帯で船ごと消息を絶った。6年経った今も、遺体は発見されていない。
姉の事故の所為もあって、けして口には出さないが両親は俺が宇宙で働く事を辞めてほしいと願っている。俺はその事を知っていながら、気付いてない振りをし続けている。
恋人とも、仕事の所為で別れた。
いつ死ぬかも分らない仕事は辞めてくれと、そう言われて、俺は仕事を選んだ。彼女が純粋に俺の実を案じていてくれた事を理解しながら。
同僚の死も、幾度か見た。
予測できなかったフレアや観測不能の微小デブリのせいだけじゃない。ちょっとしたミスが宇宙では即、死に繋がった。

けれど、何故だろう。
いつだって、どうしても辞める気にはなれなかった。

幻が問いかけるのは俺自身の思いだ。きっと、この仕事を続ける者達が共通に抱いている思い。辞めてもおかしくないような要因なら今まで沢山あった。
それなのに、辞めずに今も俺は宇宙にいる。

何故だ?

その問いに答えが、出た事はない。

スリルを求めている訳じゃない。
親を悲しませたい訳でもない。
それほど給料が良いというわけでもない。
今更、憧れと言うわけでもない。

きっと、どんなに探しても理由なんて見つからない。
理由なんて、どこにもないんだ。

たぶん、これから何があっても俺は宇宙での仕事をやめないだろう。
もしも、それに理由があるのだとしたら、唯一つだけだ。

愛してるから。
とても陳腐な言葉になってしまうが、それが答えだ。

昔も、今も、俺はこの宇宙が好きだからだ。漆黒の闇が広がる、深い孤独を感じさせるだけの、良い事なんて何もない宇宙。
それでも俺は宇宙を嫌いになることなんて出来やしない。

それこそ、理由なんてない。

ただ、幼い頃夢見たこの宇宙に、俺は今も魅了され続けてるんだ……。







2006.2.5.


あ゛ー、宇宙モノ、です。舞台としては土星軌道か木星軌道辺りのステーション建設などと考えてもらえれば……。あ、小惑星帯の資源開発でも可です。勿論エッジワースカイパーベルトでも。宇宙空間に浮かぶ幻って、何か良くないですか?ま、プラネテスの影響受けてないなんて絶対言えませんけどね。ハチは地球も宇宙なんだ、と感じてますが、私もそう思うんですが、やっぱり行ってみたいんですよね、太陽系を飛び出して、他の星系や銀河系まで。少し、生まれるのが早すぎたのかもしれません。あと3世紀くらい後に生まれればよかったのかな?でも、夢を見るには良い時代に生まれたと、そう思います。もっとも、夢の具現化を願ってやまないんですけどね。







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