驚いた。 アッシュはここ10年の中で一番驚いている事を自覚した。 目の前にはにこやかに笑う絶世の美女が立っていた。 これがどこぞの王宮や政府官邸、もしくは何らかのパーティー会場、例えは悪いが高級娼館とかでお目にかかるのならば不思議はなかった。 だが、今自分と、そしてこの美女がいるのはその何処でもない。 自分は兎も角としても、この目の前の美女には絶対に似合いそうも無い、と言うか何故こんな所にいるんだというような場所。 社会における裏の裏、この世の犯罪者共の隠れ家とも呼べる貧民街、その中でも銀河中で下から何番目と言うような場所だった。 しかも彼女がいるのはとてつもなくぼろい家。よくも人が住めるものだと来る度に感心するような外観の家だ。 まさに、掃き溜めに鶴。 思考が停止してしまったアッシュに掃き溜めの中の鶴、いやその美女が声をかけた。 「アッシュ様ですね?主が奥でお待ちしております。」 思ったとおり魅惑的だが高くもなく低くもない、その中性的な声にふと我に返り、ここへきた理由を思い出す。 そうだ、旧友に呼び出されてわざわざ訪れたのだ。 そして、目の前の美女はその旧友の家の前で俺を待っていて、そしてあいつの事を主と呼んでいる……。 それが意味する事に気が付いてアッシュは声にならない叫びを上げた。 「ったく、お前の趣味も相変わらずだな。 よくもまぁ、こんなガラクタ見つけてきたもんだ。」 数分後、アッシュは友人の部屋にいた。相変わらずの散らかり具合だ。 部屋といっても書斎などではない。彼らの目の前にあるのは大量のアンドロイドの部品たち。 「ガラクタとは失礼な。 これだけ保存状態の良いものは滅多に見つからないんだぞ!」 その部屋の真中、つまりは彼ら二人の目の前にに―そこの半径2m余りだけが綺麗になっていることはこの際無視した―とてつもなく古い、少なくとも1世紀、下手したらそれ以上は経っているであろうと思われる旧式のロボットがいた。 アッシュの友人、クリュエは自らの第一のお気に入りであるロボットを貶された事で声を荒らげた。 「たとえ保存状態が良かろうが悪かろうが俺には関係ないね」 友人の抗議を事も無げに切り捨てる。次の抗議が来る前に言葉を続けたがそれがまた悪かった。 「こんなものを見せる為にわざわざ俺を呼んだわけじゃあるまい」 再び、大切なものを貶された怒りでクリュエの口に火が付いた。 「よくみて見ろ。 お前にはこの美しさが分らないのか! この稚拙ながらも洗練されたフォルム、人に威圧感を与えないよう設計されたこの素晴らしい曲線美……」 マシンガントークと言う呼び方があるがまさに、それだ。 ロボットについて語り始めたら彼を止める事は不可能に近い。 矢継ぎ早に飛び出すロボットへの賛辞。 既に周りのことなど目に入ってはいない。 ただひたすらにロボットを賛美し、完全に酔っている。 こいつとの会話のときは気をつけるべきだったんだ、と今更ながら思い出すが時既に遅い。 後は相手が正気に戻るまで待つのみ。ため息をつくばかりだ。 そんなアッシュを見かねてか、彼を家に迎え入れた絶世の美女、否、最新式のバイオロイドが助け舟を出す。 「行きましょう、あの方はああなると2時間は止まりません。 お茶を入れますからこちらへどうぞ。」 まるで本当に人間そっくりなバイオロイドが微笑みかける。 バイオロイドと分っても今もすぐには信じられない。 本来性などあるはずも無いバイオロイド、その上中性体として作られていると言うのにもかかわらず、その優しげな笑みは中性的な顔に女性的な印象を持たせる。 聖母の微笑み、柄にもなくアッシュは思った。 幼い頃、親に連れて行かれた教会の窓、ステンドグラスの中にいた柔和な微笑みを思い出す。 両親も今はなく、あの教会も既に無い。幼い日の甘い記憶はその後の経緯までも蘇らせる、少しばかり苦い思い出だ。 過去の幻影を振り払うようにアッシュはバイオロイドに話しかけた。 「あんたも大変だな。 あんなのが主人じゃ。」 言ってから旧知の友の性格に思い至り、笑おうとしたがそれは少し歪んで苦笑いのようになった。 曖昧な笑み(人間そっくり、どころかこれでは人間以上に人間らしい)で応えると、そのバイオロイドは客間である隣室へとアッシュを案内した。 「旨い」 それが、第一声だった。 「ありがとうございます」 バイオロイドが聖女の微笑を浮かべる。 彼女、否、彼、でも無い、とにかくこのバイオロイドが淹れてくれた茶は旨かった。 ここまで上手に淹れられた茶を飲むなど久々だ。 葉から淹れたのであろう未だ熱い茶は芳醇な香りを放っている。 「これは、もしかして有機栽培の葉か? 土と日で育てられたものに感じる。 地球産のものに味はよく似ているが、まさか地球産では無いだろう。 と言うことはそれに最も近いといったら……オーヴ産か?」 尋ねると、美しいバイオロイドの笑みが深まる。 「分っていただけるとは光栄です。 それでこそこちらも淹れ甲斐があるというもの。 仰るとおり、そのまさか、これは地球産の貴重な茶葉です。」 「なっ……。」 あまりの応えにアッシュは、その貴重なお茶を拭きこぼしそうになった。 地球産と言えば最高級品だ。滅多な事では手に入らない。 それを客人に出してしまうとは。 売ったら数gでも相当な金になる。 同じようにg単位で売られている麻薬などより何倍も価値の高いものだ。 それこそ一般人が簡単に手にいれることの出来るものではない。 唖然とした彼の思いに気付いたのか目の前の佳人は告げる。 「あの方は、こういったものに無頓着でいらっしゃいますから。 自分などより貴方に出せばきっと喜ぶだろうし、その価値を分かってくれるだろう、茶も価値を分かってくれる者に飲まれたいはずだ、と申しておりましたので」 その言葉に更に愕然とする。 それでは、彼は覚えていたのだ。 自分の事を、自ら捨て記憶の隅に追いやった過去を。 かつて一度だけ酒の席で軽く口にしただけだったのに。 「はぁ。嫌になるな、あいつのこういうところは。」 そこで再び彼の友の性格に思い至り頭を抱える。 人が喜ぶ事をするとき、あいつは大抵何かを企んでいる。 そしてそれは大体何かとてつもない事なのだが、つい気が緩んでいてうっかりと快諾してしまう事が多い。 実際、今までも何度かそんな目にあっている。 ……それこそ、危うく命を落としかけたことすらある。 そして今回は地球産の紅茶……。 ここまでのものを出してくるという事は……。 アッシュはそこで思考を放棄した。 考えたくない。 どんな騒動に巻き込まれるのだろうか。 だが、どんな手で来るか分らない。 少しでも情報収集しておかなくては。 「なぁ、あいつが何を考えてるか、分るか? 出来れば教えてもらいたいんだが……」 そこまで聞いてまた新たな事実に突き当たる。 そういえば、まだこのバイオロイドに名前を聞いていなかった。 そうして尋ねる。 「ところで、君は何と言う名前なんだ?」 さっきまで目の前で表情をころころと変えていた客人が自分に尋ねてきた事柄について可笑しくなって笑ってしまう。 表情に沿って思考をトレースしていたがまさに思った通りの質問だった。 足りない情報はかなりあったが、どうやらこの客人は思ったことがかなり顔に出てしまうタイプらしい。 今は何故私が突然笑い始めたか分らない、と言う顔をしている。 このままでは何故笑っているのかまで聞かれそうだ。 思考をトレースしていたなんて分ったらきっと彼は気分を害すだろう。 それだけは避けたかった。 折角、こんなに気に入る人材に会えたのだ。 自らチャンスを捨てるのは愚かと言えた。 「私にはまだ名前がありません。 古い名なら色々とありますが、今の私には、そう、この身体になってからはまだ名をつけてもらっていません。 だから、その質問にはお答えできません。 でも、最初に質問には答えることが出来ます。 あの方の考えている事なら手に取るように分りますから。 恐らく私の処遇についてだと思います。 貴方に依頼したいのは」 名前が無い……けれど古い名なら沢山ある? よく分からない。 それに、あいつが俺に頼もうとしているのはこの美人なバイオロイドの事? 一体どういう意味なんだ? 本当に、分りやすい人だ。そう思う。 人柄も悪くは無い。 だからこその逸材だ。 これを逃す手は無い。 アッシュの空になったティーカップにお茶を注ぎながら彼の思いに答えた。 「あの、貴方がガラクタと評したあのロボット、実は私なんです。」 驚いている。いや、理解できずにいる彼をよそに話を続ける。 「私は今から約200年ほど前、正確には183年と10ヶ月29日前に製造されたロボットです。 当初地球圏で、その後辺境の星系に飛ばされ3年前に廃棄処分になりました。 それまで様々な所で様々な仕事をこなしてきました。 戦争に出るようなこともありませんでしたし、ちゃんとメンテナンスも行っていただけていたので、今まで壊れずに済んでいたんです。 けれど、流石に古くなりまして、動けなくなりかつての主人に廃棄されそうになったところをたまたま……」 「あいつに買われたって訳か。」 徐々に事態を理解し始めたアッシュは次の言葉を継いだ。 だが、分ってきたからこそ分らない事も出てきた。 それを理解しているのだろう。 元ロボットのバイオロイドは話を続ける。 「はい。まさに意識が途切れる直前でした。 あぁ、こうして皆壊れて(死んで)いったんだ、と思ったときでした。 あの方が現れたのは。 あの方は私をかなりの高額で買ってくださったので前の主人も喜んで私を手放しました。 そうして、私はこの新しい身体の実験体なったんです」 実験体……何だかいきなり話が飛んだような気がするんだが……。 だが、話はここで終わりのようだった。 頭をもたげてきた疑問をとりあえず尋ねる事にする。 「ロボットがバイオロイドになるってことはとてつもない事だと思うんだが……そこら辺は教えてはもらえないんだろうな」 「すみません。そこは機密情報なので。」 当然だ。 無機体のロボットを有機体のバイオロイドにするなんてのは相当の、とんでもない技術が使われているって事だ。 きっとあいつでなければ作れなかったはずだ。 しかも壊れかけのロボット相手に、だ。 機密情報満載、そして実験体と言うことは……。 漸く自分に繋がる糸口を見つけ出し、そしてその事でさらに頭が重くなった。 あいつは、俺に逃がさせるつもりだ。 この、新型バイオロイドを。 実験体ってことはまだ出回っていないのだ、この身体は。 きっとその事でなにかしらヤバイ事でもしでかしたんだろう。 よくよく考えれば直ぐにでも思い至って然るべき事であった筈だ。 隣の部屋で旧式ロボットに心酔しきっていた旧友の姿を思い出す。 本当は自分の手元に置いておきたい筈だ。 だがそれを許さない何かがあるのだ。 きっと他には頼めなかったのだろう。 そんな危ない仕事、俺だってやりたくは無い。 だが、友人のためならば仕方あるまい、とも思う。 はぁ。 今日何度目かになる盛大なため息をこぼすと、カップに残った残り少ない紅茶を飲み干し彼は立ち上がった。 もうそろそろ我に返るところだろう。 どうやら自分が今後面倒を見ることになりそうな美しいバイオロイドに礼を言い隣室に向かう。 仕方ないから引き受けてやるか。 その代わり、料金は高くつくからな。 ついでだから、ここにある紅茶葉を全部せしめていってやろう。 そんな算段をつけながらアッシュは隣室の扉をくぐった。 自慢の船の中でアッシュは寛いでいた。 お気に入りの紅茶を静かな自分の部屋でゆっくり味わう。 それが彼の毎日の楽しみだ。 今日は自室ではないが皆が出払っている為、今だけはデッキも静かだ。 隣に並んでで紅茶を飲んでいるバイオロイドとは思えない美人を横目に昔を思う。 こうしていると初めて会った時の事を思い出す。 あれからもう10年の月日が流れた。 二人とも全くといって良いほど外見は変わらないが、それだけの時間が流れた。 船も当時とは違うものだし、新しい仲間も増えた。 あの後本当に死ぬような目にあったが何とかこうして今も生きている。 クリュエにはあれからもたまに会いにいっている。 自分の最高傑作と自負するバイオロイドが来ると彼はそれこそ最高のもてなしをしてくれる。 お陰で旨い茶葉に欠くことが無い。 この済ました顔で隣にいるバイオロイドは今も最高機密扱いのままだ。 彼の技術者が当初言っていた通り「あと百年は」市場に出回りそうも無い。 お陰で時々未だに追っ手がかかる。 あまりにもそんな事が頻繁に起きるものだから、今ではもう慣れるのを通り越し呆れてしまっている。 最初こそとんだお荷物を引き受けてしまった、と思っていたが、今ではなくてはならない大切な仲間の一人だ。 今も問題は色々あるが、きっと今後も何とかやっていけるだろう。 彼は残りの一口を口に含むとささやかな幸せを神に感謝した。 |