| 2003.3.12-17. 屋久島 |
雨の中でテント張り 3月12日 初日 3月12日から5日間、春合宿で屋久島へ。 今回全員の荷物はだいたい17〜18kg程。 まずは、東京・羽田空港から飛行機で一路、鹿児島・鹿児島空港。 私にとっては初めて飛行機、実は内心びくびくしていた。 何気ない振りをしつつも、本当は凄く恐かった……。 鹿児島空港からは高速バスを利用し金糸町まで。 そこからは雨の中、徒歩で港まで行き、フェリー(トッピーが一番安い)に乗り、種子島経由で屋久島へ向け出航。 結構海が荒れてて、船酔いしかけたり。 気分が悪くならないようにひたすら眠り続けた。 おかげで途中種子島で止まった事にも気付かなかった……。
屋久島・宮之浦港到着後、雨の中、宮之浦港近くのキャンプ場まで歩く。 途中通り過ぎた橋の上で、私たちは驚愕した。 海も近い河口付近だというのに、しかも雨が降っているなか、川は底の石や泳ぐ魚の姿まではっきりと見えるほどに澄みわったっていたのだ。 これだけで、屋久島がどれだけ美しい島であるのかを感じることが出来た。 キャンプ場に着くと、雨が降り続ける中、テントをはった。 翌日に備えて早めに就寝。 この日、夜の間も雨は降ったり止んだりを繰り返していた。
屋久島に関する情報サイト: 屋久島リアルウェーブ 【http://www.realwave-corp.com/index2.htm】 屋久島観光協会 【http://www1.ocn.ne.jp/~yakukan/】
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白谷雲水峡:もののけ姫の舞台のモデル  3月13日 二日目 2日目、起きると晴天とはいかないまでも雨は止んでいた。 急いで食事をし、テントをたたむ。 本数の少ないバスを逃さないために早めに出発し、余裕を持って到着。 そして少し遅れてきたバスに乗り込む(補足:多くの山でそうだがザックは子供料金を取られる)。 他に乗ってくる乗客も少ない。 バスはうねる山道を白谷雲水峡へと向かうその道に多少酔いかけながら窓の外を見ていた。 高度が上がるにつれ徐々に霧が深くなっていく。 白谷雲水峡に到着する頃には、数m先も見えなくなっていた。 白谷雲水峡入り口傍にある滝も霧がけぶるなか、とても不思議で神秘的な雰囲気を醸し出している。 この日の終着点は白谷山荘。 暫しの休憩の後、私たちは山道に足を踏み入れた。 それからしばらく霧深い森の中を歩いた。 濃い霧は雨と同じくらい、非常に厄介なものだと言う事を私は始めて知った。 眼鏡はすぐ曇る。 服は水分を含み重さを増す。 そして何より、それは私から体力を奪っていった。
休憩を取りながら、お昼過ぎまで歩き続け白谷山荘に着いた。 50人は泊まれる大きな所だ。 私ともう一人のメンバーは他のメンバーが遊びにいく中、山荘に留まり体力回復に努めた。
予定より早くに着いたために時間はたっぷりあった。 早めに食事をすると、後は各自のんびりと過ごした。 そして、今回の合宿のメインである明日への備えと今日の疲れの為に、皆早く眠りに着いた。
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ウィルソン株 3月14日 三日目 (前)この日も朝早く起き、食事をするとパッキングをして出発した。 テントをたたむ必要が無かったのでいつもに比べ楽だった。 小屋を出てすぐに登り始める。 だが、この登りはすぐに終わり下りへと変わる。 途中、緊急避難場所にもなる岩屋を通り過ぎる。 霧がかっているために露出が失敗し、上手く写真が取れなかったので写真は無いが、実際に一度見て貰いたい位凄い。 平べったい大岩が突き出て屋根のようになっている様は誰もが驚くだろう。 まだ休憩時間ではなかったので、そこはすぐに通り過ぎてしまったが、出来る事ならばその下で休憩を取ってみたかった。
下り続けるとやがてトロ道に出る。 そこからは平坦な道が5キロほど続いている。 途中にも大杉が何本かあり、必ず何人もの人が写真を撮っている。 どうせ翌日も通る道なので人が大勢いる場合にはそのまま通り過ぎた。 トロ道では、途中、作業用のトロッコとすれ違うこともある。 雨の中毎日仕事をしているのだから大変だろうと思う。 道が狭いとすれ違う事は出来ないので、トロッコの音が聞こえ始めると道が広い場所で暫し待つことになる。 色とりどりのザックを背負った、色とりどりのレインウェアを着た登山客がズラッと並んでいるさまは結構笑える。 後ろから見ると誰が誰だかわからないのだ。 そんな事が幾度かあってからようやく山道へ入る場所へつく。 ここまでの間トイレは1箇所しかないので気を付ける方が良いだろう(尤も、トイレがない山よりはましだが)。 山道へ入ってからがこの日の本番。 一旦、ここで休憩をしてから登り始めた。
ずっとなだらかな道を歩いてきた身体には急に始まる登りはきつく感じる。 時折、雨が降り始めては止むということが繰り返される。 レインウェアのフードを被ると眼鏡が曇る。 だからといって眼鏡をはずせば視界が悪い。 結局、一時的に眼鏡を外しはしたものの、髪はシャワーを浴びたかのように濡れてしまった。 しばらく歩くとウィルソン株に到着する。 もう、株しか残っていないと言うのにそれは凄まじく大きい。 ここに来るまでにも大杉は沢山見た。 それでも圧倒されるような大きさだ。 ウィルソン株は中に入ることが出来る。 広さは4・5テンが張れるほどもあり、人が5,6人は楽々入る。 中には祠があり、木霊神社として祀られている。 また、中からは水が湧き出していて、飲料可能だ。 ここの水も結構おいしい。 ウィルソン株で昼食をとり、再び出発した。
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縄文杉と屋久鹿  3月14日 三日目 (後) 途中ガイドブックに載っている様な杉を何本も見た。 ガイドブックには載っていないが、ガイドさんは教えてくれる千手杉と言うものもある。 昔、雷だかなんかで木の上部が吹きとばされてしまったそうだ。 枝が下に垂れ下がるように伸び、本当に千本の手のようにも見えた。
連理の枝、とでも言うべきの夫婦杉を通り、ようやく縄文杉に辿り着いた時、周りには人はいなかった。 他の大勢は日帰りで軽装で来ているために登るのがとても早い。 登っている間はいつもの事ながら自分の背にある重装が恨めしく思えた。
だが、縄文杉に着いた時、そういった総ての感情が消えたことはよく覚えている。 ただ、凄い、とか、大きい、とかいったそんなことさえも何一つ浮かばなかった。 先輩たちは涙を浮かべ喜んだりしていたけれど、私の心には本当に何一つ浮かばなかった。 信じられないくらいに、空っぽ、だった。 暫くの間、呆然としていた。 小学校の時、教科書で屋久島の杉の木の詩を読んで以来、ずっと見たいと思っていた木が目の前にあった。 世界で最も長生きの樹。およそ7200歳と言う、おそらく地球上で最も長く生きている生命だ。 その恐ろしく長寿の生命体が、生きてそこにいた。 それなのに、私は何も感じなかった。 否、ただ、感情が麻痺してしまっていた。
その生命に圧倒されたのだと思う。 縄文杉は他の巨樹と比べると高さはそんなにあるわけではない。 非常に太い幹から細い(と言っても幹と比べれば、だ)枝が沢山伸び、その枝は葉は生い茂り、鳥が囀る。 まるで一つの森のような樹がそこにいた。 ただ、凄い、としか言いようが無かった。 語彙が少ないからかもしれないが、それ以外に私はあの樹を形容する事が出来ない。
縄文杉のもとで、少しの間、写真を撮ったりして休憩をした。 ちょうど鹿もいたので写真を撮るにはうってつけだった。
そして、雨が酷くなる前に、と後ろ髪を惹かれるような思いで(翌日も通るにもかかわらず)縄文杉を後にした。
高塚小屋は縄文杉から、僅か5分ほどで着いた。 最初はほとんど人がいなくて良かった、と思っていたのに、徐々に時間が過ぎるごとに増えはじめ、結局寝る頃には12人定員の小屋に25人もの人数で寝る破目となってしまった。 徐々に霧は深くなり、あたり一面が乳白色の海に沈み1m先も見えない、そんな場所で一夜を明かした。
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3月15日 4日目 朝起きると既に何人かの人は出発していた。 相変わらず外は真っ白な霧に包まれている。 シュラフをたたみ、パッキングしなおすと、少しは広くなった小屋の中で食事を取る。 やっぱり小屋は良い。 テントをたたむ必要が無いのはとても楽なことだ。
食事の後、銀マをザックに括り付けて出発。 今日の行程では山を降り、海まで抜ける。 トロ道にさえ出てしまえば後は平坦な道が続くはずだ。 宮之浦岳に登りたい気持ちがない訳ではなかったが、私たちの体力では、今回は諦めざるを得ない。 縄文杉のすぐ傍を通り、次に来るのはいつになるかは分らないが、また必ず来ようという思いを新たに山を下る。 縄文杉の下の水場で水を汲む。 やはり疲れが溜まっているのか急に増えた2Kgはかなりこたえる。 冷たい水で顔を洗うと完全に目が覚めた。 途中激しい雨にも降られながらも、夫婦杉、千手杉などを次々に過ぎ、昨日の辛さが信じられないほどあっけなくウィルソン株まで着いてしまった。 未だ時間には早かったのでそこでは休憩をとる事も無くそのまま通り過ぎる。 更に少し下ったあたりで休憩を取り、また歩き始めた。 下りは本当に簡単に降りきる事が出来た。 トロ道に出たところでも未だ休憩をするには早い時間だった為、そのまま歩き続けることに。 トロ道は平坦で歩きやすいが、どうしても歩幅に制限がかかる。 だが、板が敷いてあるところは滑る事を別にすれば歩きやすい。 途中、トロ道唯一のトイレでも休憩をとり、前日通った三叉路を雲水峡側へ曲がるのではなく安房(あんぼう)方面へ直進する。 この頃になると空は晴れ、日が差し大分暖かくなってきた。 休憩を取りつつ延々と続くトロ道を歩き続ける。 先輩の歌も♪線路は続くよどこまでも、に変わっていた。 トロ道の下に沢山の大岩が転がる安房川を見下ろしながら歩いていくと小杉谷集落跡に……。 此処で1時間の休憩を取り昼食に。 此処にはかつて家が建っていた石垣跡や、小学校跡、生活の痕跡が僅かではあるが残っている。 休憩の為の東屋もあり、あたり一面若草に覆われているのでまるでピクニックのような気分にさえなる。 昼食は個人個人で別なので皆で色々と交換しあったりとなかなか楽しく過ごせた。 この休憩用の東屋ではかつての小杉谷小学校の校歌を聞くことが出来るが、あまり音質は良いとは言えない。 小学校の苔むした校門や若草に覆われた校庭跡などは、何となくもの哀しい気分になる。 此処までくればあと少し、となんとか頑張って20kg近いザックを再び背負う。 靴紐も縛りなおして、さあ出発。 その後も暫くトロ道は続き途中曲がり角でトロッコにぶつかりそうにあるようなこともあったけれど、何とか無事に荒川登山口までたどり着いた。 此処で終わり、かと思いきや……次のバスまで4時間ほど待たなくてはならない。 それなら、と言う事で本数の多い荒川分れまでの4kmの道程を歩くことに。 もう終わり、と思ったところで追加されたからかもしれない。 このアスファルトの急な上り坂が一番辛かった。 山道なんかよりも格段に……。
その急な上り坂を荒川ダムを右手に見ながら頑張って登っていく。 平気そうな顔でスタスタと登っていく先輩たちを見ると、体力の無さを実感する。 途中で、タクシーに乗ってきた、先に山を降りていた顧問の先生と合流。 何とか荒川分れまでつき、バスが来るまで1時間あまり休憩。 公衆電話で無事山から降りた事を親に報告。 九州・東北間ではあっという間に電話賃が百数十円に……。 けれど携帯が繋がらないのだから仕方がない。
動かなくなると人は途端に熱が下がる。 特に雨で濡れきった身体では。 寒さに震えながらも、皆そこで乾いた服に着替えた。 皆がおしゃべりに講じている間、疲れでがくがくと震えながらも私は写真を何枚か撮った。 やがて来たバスに乗って安房へ。 写真を撮り損ねてしまったが、途中、停止している乗用車の上で親子の猿が休んでいる所を目撃。 いつもしているのだろうがバスの運転手さんはスピードを落とし数十秒の間止まってくれた。 そして30分くらいで海に出た。 私たちはキャンプ場へ行くために合庁前バス停で降りた。 この時注意しないといけないのがバスの運賃。 大きなザックがあるので1.5人分取られる。 つまりザックは子供料金なのだ。 これは屋久島に限った事ではなく、大抵の登山地域ではそういう風になっている。 そしてバス停から歩いて30分ほどでキャンプ場に着いた。 此処はレストランの敷地内の芝生で勝手にテントを張っていいと言うところだ。 値段も安く500円。海が目の前に広がる景色も抜群の最高の場所だ。 テントを張り終えると食事係は食料の買出しへ。 今夜はカレー。 皆で頑張って作ったが、食事係がうっかり忘れた為に肉無しカレーに。 久々に肉が食べられると思っていた私は少しがっかり。 それでも美味しかったので、まあ良しとする。 この日、綺麗に晴れ渡った星空を眺めながらぐっすりと眠る事が出来た。
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3月16日 最終日 とうとう合宿の最終日。 どうせ今夜も同じ場所に泊まる事になるのだとわかっていても合宿自体の行程は屋久杉ランドで終わりの為、テントをたたみ、再び20kgのザックを背負い出発。 屋久杉ランド行きのバスに乗る。 屋久杉ランドは子供でも楽に屋久島の巨樹を見てまわる事が出来る。 木道がしっかり整備されていて歩きやすく、時間もそれほどかからない。 切り株更新と呼ばれる切り株の上に生えた杉が大きく成長しているものや2代杉、中には3代杉なんかも見れる。 杉は見たいけど、山の中まで何時間も歩いていく体力も時間もない、と言う人には特にお勧め。 たった1時間ほどで屋久島の杉の醍醐味を味わえる。 時々屋久鹿が近くに来ているので運が良ければすぐ近くまで近寄れるかも。 但し、彼らは非常に臆病だから大声で近づいていったりしたら逃げてしまう。 私は10分近くかけて、座り込んで鹿のほうから近づいてくるのを待っていた。 それなのに、後からやってきたおばさん連中は私と鹿が側にいるのを見て安易に近づけるものと思ったらしい。 事もあろうに大声で近づいてきたのだ。 しかも3人で。 お陰で折角近づいてくれた鹿も離れていってしまった。 それを見て諦めて去っていたおばさんたち、私はお陰で、もしかしたら触れる事が出来たかもしれないチャンスを逃す破目になったんだ!! もう少しこっちの行動を見て近づいてきて欲しかった……。 餌に目がない奈良の鹿とは違うんだよ……まったく。 ―愚痴終わり―
この屋久鹿は小型の鹿で人間の大人の腰くらいまでしか背丈がない。 日本に生息している鹿の中で最も小型の鹿だ。 慎重に近づけば1mくらいの距離にまでは近づく事が可能。 時間があるのなら試す事をお勧めする。
屋久杉ランド見学の後、合宿は解散。 二手に分かれてそれぞれ行きたい所へ向かった。 翌日に出立予定だった私を含めた3人は温泉へ。 明日も残る予定でいた他の3人は早々に宿泊地へ。
私達は尾の間温泉と言う町営の温泉へ向かった。 値段も安く、温泉の質もよく最高だった。 ただ、バスの時間があったのでゆっくりする暇も無く、急いで温泉を上がりバス停に直行。 この時、屋久杉ランドで出合った3人の旅行者と共にいたのだが、彼らはなんと宮崎から自家用ヨットで来たと言う。 宿泊地が決まってないなら船に泊まり、そのまま宮崎まで乗せて行ってくれると言われたのだが、結局その申し出は断り昨夜のキャンプ地へと戻った。 後になって、こんな、滅多にないような申し出を断った事を非常に後悔した。 尤も、行きの船でも船酔いで眠っているしかなかったのだからその船に乗せてもらっていたとしても、きっと役立たずだったに違いない。 だが、もう一度機会があるならば、今度こそ、と思わなくもない。
キャンプ場への帰路、安房港で翌日の船のチケットを買って帰った。
この日はキャンプ場のレストランで食事(正しくはレストランがキャンプ用に庭を提供している)。 屋久島特産の鰹節ならぬ鯖節のうどんを食べた。 友人は同じく屋久島特産である飛び魚の焼き魚定食を食べていた。 それらは本当に美味しく、翌日お土産として買い込んで帰った。
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3月17日 アフター とうとう屋久島から帰る日。 今日も残る3人の為テントなどの荷物を交換し、出発。 最寄の安房港からではなく、出航時間と飛行機の都合上、宮之浦港から出発する船で帰るためにバスに乗ったのだが、地元の高校生もたくさん利用していた。 40分ほどで宮之浦港に着いた。 このときのバスの運転手さんが良い人で、普通ならザックの料金も取る所をとらなかったばかりか、通常の運賃までまけてくれた。 また屋久島に着てくれ、とだけ残して。 きっと必ず行きます!! と、私達は皆でそう誓った(笑)。 帰りも行きと同じように宮之浦港から鹿児島港行きのトッピーの乗った。 行きとは違い海は穏やかで、酔うことはなかった。 だが、今度は疲労のために、結局、行きと同様に私は途中寝てしまった。
船内のテレビでは丁度イラン戦争の開戦のニュースをしていた。 そのニュースを見たときに、まるで天上の世界から俗世へと突き落とされたように感じた。 その時、帰るのだ、と言う事を実感した。 旅の疲れの中で、とうとうやってしまったのか、となんとも言えない気分になりながら眠りに付いた。 そうして寝入ってしまった為に結局この時も種子島を見損ねてしまった。 いつかは種子島にも行きたいと思う(この10日ほど後にH2Aの打ち上げが予定されていた)。
鹿児島に着くと、そこは綺麗に晴れ上がっていた。 桜島を背に何枚か写真を撮る。 行きは曇っていただけに良い記念になった。
鹿児島駅で、この後宮崎で一人旅を続けると言う先輩と別れた。 私は友人と二人、駅の近くにあった手作りのお菓子屋さんで色々と買い込み、記念に、と高速バス乗り場までの、歩いても充分にいける距離を路面電車に乗っていった。
鹿児島は陽の光が強くカラッとしていて、非常に明るいと感じた。 高速バスに乗ってからも、外に見える山の景色の中にはうっすらと薄紅色の木々が見えた。 桜だった。 それは、とても美しかった。 鹿児島は、まさに春、だった。
鹿児島空港からスカイメイトを作って学割を利用して飛行機に乗った。 この時、実はウエストポーチに刃渡り6cmほどのナイフが入っていたのだけれど、携帯に挟んでおいたからなのか、全くばれずに飛行機に乗れてしまった。 これで良いのかと、多少の疑問は残ったが問題も無かったし、良しとした。
そうして人生2度目の飛行機。 やっぱり、少し怖かった……。 あの浮遊感はちょっと苦手だ……。 やっぱり、地に足が付いている方が良いと思った。
羽田に到着すると電車で東京駅まで。 携帯で地元までの最短を調べ埼京線で大宮へ。 大宮から新幹線に乗り換えて東北の実家へとたどり着いた。 着いたのはもう夜の11時をまわっていた様に思う。 南から北へ、日本列島を縦断して。 そうして、私の屋久島への旅は終わった。
今度行くときは友人と一緒に気ままな旅行として行きたいと思う。 そうして、この次こそは洋上のアルプス・宮之浦だけを踏破したい。
―後日談― アフターで別行動を取った3人。 何と、1日で屋久島半周を往復、それを自転車で成し遂げたそうだ。 登山を終えて、尚その体力。 とてもじゃないが、敵いそうもない、と思った。
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